穏やかに(上)
それはまだ西ブロックで過ごしていたときのこと。
紫苑に書棚の整理を頼んだのは失敗だったかもしれない。
ネズミが少しばかり後悔したのは、片付けを始めてからしばらくしてからだった。
かれこれ二時間以上は経っただろうか。
「紫苑。少しは休憩したらどうだ?」
ネズミは壁にもたれかかって、呆れたように声をかける。
「うん、もうちょっとやったら」
本を片手にあっちへ移動し、違う本を手にしてはこっちへと移動する。 紫苑は思っていた以上に几帳面で、そして完璧主義だった。
どうやら、本を分類し、さらに著者名ごとに並べ替えているようだ。
空返事だけで手を止める様子のない紫苑を見てネズミが肩をすくめたのも、どうせ目に入ってはいないだろう。
ネズミはちょこまかと動き回る姿を何気なく見ていたが、ぼそりとつぶやいた。
「……伸びてきたな」
その声が聞こえたらしく、ようやく手を止めて振り返った。
「なにか言った?」
「髪、伸びたなと思って」
「ああ。そういえば、しばらく切ってないから」
頬にかかる白い髪を引っ張ってみる。
首の後ろで切りそろえられていた髪は、いつの間にか肩に届く程度になっていた。
No.6を脱出して以来、散髪などする余裕もなく、そもそも考えもしなかった。
ネズミに比べれば長いというほどではないのだが、指摘されてみると確かに邪魔な気がする。
「切ってやろうか」
にやりと笑って、ネズミが言った。
「きみが? できるのか」
「もちろん。おれは自分で切ってる。他人の髪はやったことなんてないけどな。ま、やろうと思えばできないことなんてないさ」
「なんだか、不安だな」
「なに言ってるんだ。ナイフの扱いならお手のものだ」
「ナイフ……せめてハサミを使ってほしいんだけど」
「そんなお上品なものあるわけないだろ」
「そうだ、イヌカシのところならあるんじゃないか?」
「へぇ。おれの腕を信用してないんだ?」
いい提案だと思ったが、ネズミはそうは受け取らなかったらしい。
ムッとした顔でそっぽを向いてしまった。
「別にそういうわけじゃない。でも、ナイフで切ると髪が痛みそうだろ。そうだ、ついでだからきみの髪も切ってやるよ」
「は? なんでおれまで」
「だから、ついでだろ。整えるくらいならぼくにもできそうだ」
少しだけ楽しそうに、紫苑が笑った。
それから困ったように背後を見る。
書棚から出した本がそこら中に散乱している。片付けているのか荒らしているのか分からない有様だ。
「まだ片付けが途中なんだけど」
「あんた、まだやる気なのかよ。本は逃げやしない。行くぞ、紫苑」
「えっ。待ってくれ、ネズミ」
部屋の隅で子ネズミがチチッと鳴いた。